教育長のひとこと NO.13

早いもので、卒業式の時期となりました。

附属学校群でも3月1日の附属駒場高等学校の卒業式が実施され、3月23日の附属小学校の卒業式まで毎週、卒業式が行われる日程となっています。幼児、児童、生徒、それぞれの想いを持ち、巣立ちの日を迎えたり、備えたりしているものと思います。また、保護者の方々の感慨もひとしおのことと推察しております。ありきたりの言葉ではありますが、卒業・修了は、新たな出発の始まりでもあります。子どもたち、みんなが、次のステップに積極的に歩んでいくことを願っています。

乳児から始めました心の発達についてのお話しも今回で終わりになります。今回は、青年期における心の発達です。青年期の範囲につきましては、発達心理学の中でも立場により一定はしていません。実際、厳密な年齢区分はありません。だいたい13~22歳前後、つまり、日本でいいますと中学生から大学生の年代と考えればよいと思います。なお、思春期は、第二次性徴の開始から完成までの時期を指します。通常は、中学生から高校生の年代です。思春期は、青年期の中の一部であり、生物学的特徴で規定されている時期となります。

青年期は、抽象的な思考や論理的思考、そして客観的思考の力が飛躍的に高まる時期です。特に、物事を客観的に見ることができるようになることは、自分と他の人を冷静に比べて考えることができるようになることを意味します。そうした思考の中で、自分は何を知っていて何を知らないか、何ができて何ができないか、ということも分かるようになります。つまり、自分のことを客観的に考えられるようになるともいえます。自分を冷静に見つめ、他の人とも比べて考えるようになりますと、自分は、小学生の頃に感じていたように万能でもなく、望むものになれる訳でもないことに気づきます。例えば、小学生の子どもに、「将来何になりたいの?」と尋ねますと、「サッカーの選手」とか「バレリーナー」などの夢がたくさん出てきますが、高校生くらいになるとより現実的な内容が返ってくることが多くなるなどのことからも、物事の見方の変化、特に、自身に対する見方の変化が分かるでしょう。

こうして自分を客観的に見つめることができるようになることで、子どもたちは、自分自身のことを深く考えるようになっていきます。「自分は何であるのか」というテーマは、将来(職業)を現実的に考えなければいけないという青年期の時期的特性も相まって、先延ばしできない課題として青年期の子どもたちの目の前に現れるのです。

過去の自分から連続した存在としての今の自分があるという意識(現在の自分を受け入れ、過去の自分も受け入れる意識)、家族や友人などいろいろな人と接し影響を受けながらも自分は自分であるという意識(自分を受け入れ、他人も受け入れる意識)、このような自己に対する意識のことを、エリクソンという発達心理学者は同一性(アイデンティティ)と呼びました。

同一性は、自分が存在している場において自分が存在している意味が感じられることでしっかりしたものとなっていきます。自己の存在意義は、その場において自分が果たす役割があり、その役割を果たすことができ、その結果を自分も評価し周囲からも評価されるときに最も実感されます。つまり、中学生ならば中学生なりに、高校生ならば高校生なりに、家庭や学校で自分なりにやれていると感じられる毎日が大切ということになります。これは、必ずしも、全てのことをきちんとできなければいけないということではありません。トライしたができなかったという事柄自体を、自分の力は今はここまでだけれど、自分としてはがんばったのであり、それはそれでいいじゃないかと思え、そして、家族や友人、学校の先生からも同じような目で見てもらえること、それが最も大切だということです。

価値観が多様であるほど同一性の問題、つまりは自分に対する想いが不安定になりやすいといわれています。この道を選んでも、あの道を行っても、あるいは、別の道も選べるとき、何をしてよいか分からなくなってしまうからです。どの選択肢にも優劣がないこと、自己否定的な方向(非行・自暴自棄行為など)でない限りどの方向でも承認されること、などを伝え、基本的には、悪いことでない限り干渉しないで見守っていく態度で接するのがよいと思っています。

小学校を卒業した子どもたちは、これから青年期に入っていきます。中学校を卒業した子どもたちは、青年期あるいは思春期のまっただ中に突入します。高校を卒業した子どもたちは、青年期の仕上げの時期に入ります。それぞれの時期の子どもたちを、危なくないようにだけ注意してあげながら、温かく見守ってあげたいものです。