教育長のひとこと NO.14

例年になく暖かい日が続き、桜の満開の便りも聞かれるようになりました。

附属学校群11校の卒業式も全て行われ、子どもたちが元気に巣立っていきました。慌ただしかった年度末の学校も、今は少し静かになり、4月からの新年度に向けての準備をしています。

国立大学法人の附属学校は、今、いろいろな意味でその存在意義を問われています。筑波大学附属学校群は、そのことを十二分に自覚し、これからもわが国のみならず世界の初等中等教育と特別支援教育における先導的役割を果たしていくものと信じております。その具体的な形として、今年の4月から附属学校教育局のサイトを一新することといたしました。附属学校群11校の活動を、各学校のサイトに行かなくても学校教育局のサイト内で一覧できるようになります。みなさま、4月になりましたら、附属学校教育局のサイトを覗いていただければ幸いです。

私、この3月で大学を定年退職いたします。附属学校教育局教育長としては、2年間、みなさんとともに仕事をさせていただきました。充分にその責を果たせましたか心許ないことばかりではありますが、子どもたち、保護者の方々、附属学校や大学の先生方、事務の方々のご支援・ご協力もあり、なんとか2年間を過ごすことができました。お世話になりましたみなさまにあらためてお礼申しあげます。

2年間、ありがとうございました。

 

付録です。

私、今年度は、子どもの心について、いろいろ伝えさせていただきました。今回も少し述べさせていただき、私からの「ひとこと」の締めとさせていただければと思います。

私は、子どもの心の問題を専門領域としている小児科医です。そのようなことをしていることもあってか、ある地域の小学校の子ども達の悩み事について意見を求められたことがあります。その学校では、子ども達の日頃の悩みを把握しようと、自由に書いてもらったとのことでした。

その中で、「ふだんお父さんやお母さんから言われていやだったこと」というものがありました。その回答を見せていただき、なぜ、私に意見を求められたのかが分かりました。そこにあったのは、『こんなこともできないの、バカじゃない』、『もう、ほんとにグズなんだから』、『まったくノロマで困っちゃう』、『どっかに行ってくれない』、『叩くよ』、『あー、顔も見たくないわ』等々でした。これが、1年生から6年生まで、どの学年でも見られていました。

もちろん、こうしたことばが言われた状況によっては、冗談のような感じのものもあるのだろうとは思います。それでも、子ども達が、「嫌だったこと」としてあげているということは、親御さんが軽い感じで言われたつもりとは別に、子ども達はこうしたことばで傷ついていることを表しているのではないでしょうか。

何かをした方はそのことを忘れてしまいがちですが、された方はいつまでも覚えているということは、よくあることです。そうした中で、ことばは、もっとも気をつけなければいけないものの一つでしょう。ことばは、言った端から消えていきます。話す方がよほど気をつけていない限り、話したこと自体を忘れてしまいがちになります。特に、嫌な事柄や言ってはいけないようなことばを言ったことは、忘れられやすいという特徴があります。そのことを思い出すと、言った方もよい気持ちがしないので、覚えておこう・思い出そうという気持ちが起こりにくいからです。

でも、言われた方は、ずっと覚えていることは珍しくありません。先に紹介しましたようなことばを親御さんから投げつけられた子ども達は、どんな気持ちでそのことばを聞いたでしょうか。そして、それからずっとどんな気持ちで毎日を送ることになったでしょう。考えるだけで、こちらの心が押しつぶされそうな感じにさえおそわれます。

ことばの暴力によって傷ついた子ども達は、自分のことを価値のない人間と思いがちになることが知られています。そのように思いこむことで、言われたことを正当化し、心がそれ以上傷つくのを防ごうとするからだとも言われています。

非行に手を染めた子ども達の中には、自分が生きていることの価値を実感できず、周囲から恐れられたり同じ仲間からの屈折した羨望でのみ自分の価値を確認できることで、反社会的な世界に入り込んでしまっている人が少なくないように感じることがあります。小さな頃、少なくとも6歳くらいまで親御さんの深い愛情の中で育った子どもで、成長して非行に走る子はいるのでしょうか?

最近、私達が個人的に重大な決断をするときは、理性的に冷静に考えて決断するよりも、直感的、感覚的な判断によっていることが少なくないという考え方が提唱されています。そして、直感的・感覚的判断に大きく影響を与えるのは、その判断のときに感じる身体の感覚(「心がざわめく」などの言いようのない感覚)であり、そうした身体感覚は、それまでにその人が経験してきた事柄とその経験の時に感じた感覚の記憶(専門的には、ソマテックマーカーと呼ばれています)から生じる、と述べられています。感情・情動が脳の前半部にある前頭葉に影響し意思判断がされるというもので、アントニオ・ダマシオという神経科学者が提唱した仮説です。

ダマシオの仮説とはちょっと違いますが、感情が理性的な判断の基となるということを考えますと、次のようなこともあるかもしれないと思うところがあります。小さい頃に親御さんの愛情に包まれ、抱きしめられ、親御さんの温かい体温を感じ、抱きしめられた身体の感覚を感じ、そのことが心のどこかに記憶されている子ども達は、何かいけないことをするかどうかの瀬戸際に立たされたとき、その感覚がよみがえり、理屈ではなく身体の感覚で「それはしてはいけない」と踏みとどまることができるのかもしれないということです。そして、また、ことばは、言われた人の一生を縛るほどの怖さを持っていると述べましたが、その怖さやダメージを癒してくれるものも、信頼のおける人とのつながりからくる身体感覚なのかもしれません。身体的感覚は、身体的接触で一番感じられるでしょう。親御さんから抱きしめられた幼いときの感じこそ、その源となるのではないでしょうか。