教育長のひとこと NO.7

グローバル社会と多文化間の共生

暑い夏の後は、台風の季節でした。これから本格的に寒い季節になる前に、さわやかな秋をしばし楽しみたいものです。

今月は、グローバル社会について考える一環として、多文化間共生について考えてみます。グローバル社会は「国境を越えて地球規模で問題(貧困、感染など)がおき、地球規模での問題解決が必要な社会」ですが、その代表的な特徴が、多様な文化をもつ人々の交流と共生であると言えます。

私は30代の大半をアメリカ合衆国で過ごしました。そこでは、アングロ・サクソン系、アフリカ系、ヒスパニック、アメリカ原住民、アジア系など、多様な人に接し、一緒に勉強し、働きました。40歳になる秋に、日本に帰国して23年が過ぎました。

私は日本に帰ったばかりのとき東京で山の手線にのって,何か違和感を覚えたのを今でも鮮明に思い出します。たぶんそれは,周りの殆どの人が日本人であったせいでしょう。筑波大学に赴任して,本部棟で行われた「新任教官」のオリエンテーションに参加したときも,何か不思議なものを感じました。それは,出席者のほとんどが男性だからでした。意識的に多文化で生きるよう工夫をしてきた私は、多様性のない(ように見える)集団にカルチャーショックを感じたのでしょう。

アメリカに住む人間にとって,多文化間の共生とは自分と宗派や人種の異なる者と共に生活し、生きるという意味です。したがって彼らにとって,多文化間共生は美徳ではなく,リアリティであり生存そのものです。私はアメリカではアラバマ州という“Deep South” と呼ばれる南部の,かつては人種差別の強かった地域に長く住みました。しかし,日本人であることで,留学生としてあるいは職業人として,不利益を被った記憶はありません。また不愉快な気持ちになったこともあまりありません。それは私の関わったアメリカ人がやさしかったからでしょうか。私は友人に恵まれたので,たぶんそれもあるでしょう。しかし,私という黄色い顔をして眼鏡をかけて小柄な(カメラを首から下げてはいませんでしたが)「どこからみても日本人」に不利益や不快感を与えなかったのは,彼らの大部分が多文化間で生きる能力をもっていたからだと思います。そしてその能力は、教育の力だと思うのです。

私はアメリカの小学校で、スクールサイコロジスト(インターン)として勤務して、アメリカの教育の現場を体験しました。そして、アメリカの人々には「偏見(偏ったとらえ方)はよくないが、完全にはなくならない。それは文化や歴史が関係するからである。しかし差別(行動)は許されない。差別の社会を作るために、教育が鍵を握る」という考え方があるのではないかと感じました。

多様な文化の中で、「互いの人種や宗教や考え方を、異なるものとして理解し尊重しながら」、同時に「互いを十分には理解できないけれど、一緒に学んだり、働いたりできる」・・・多文化間共生はグローバル社会で生きる基盤であり、その力は家庭や学校での教育を通して獲得するものです。グローバル人材を育てる学校の責任を感じます。

事情により、10月の教育長の一言の掲載が遅れましたことをお詫びします(石隈利紀)