教育長のひとこと NO.5

 梅雨の季節となりました。今年は、梅雨入りが昨年より遅れている地域が多いとのことです。雨が降り続きますと、気持ちが晴れ晴れすることは少なくなりがちですが、梅雨は日本に豊富な水をもたらしてくれます。1か月少しの間、少しでも雨を楽しむ気持ちを心がけたいものです。

 雨をテーマにした童謡に「あめふり」という曲があります。作詞は北原白秋、作曲は中山晋平で、1925年(大正14年)に発表されました。ご存じの方も多いかと思います。『あめあめふれふれ かあさんが じゃのめでおむかい うれしいな ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン』というのが1番の歌詞です。この童謡の主人公は小学生の男の子です。歌詞を見ますと、雨の日を楽しんでいるというよりも、傘を持って迎えに来てくれたお母さんと一緒に帰るうれしさの方が勝っているように感じます。作詞者の本当の意図は分かりませんが、童謡「あめふり」は、親御さんと一緒にいることのうれしさを子どもが素直に出している情景の歌のように思われるのです。

 小学校低学年までの子どもたち、特に幼児期の子どもたちは、何もしなくても、親御さんと一緒にいるだけでうれしさが身体中からあふれ出していることが多いように思います。そのうれしさは、自分が親御さんから大切にされているという実感を土台にしています。その実感は、無条件に自分が丸ごと受け入れてもらえているという体験から生じます。自分がいいことをしたときだけ(自分の方を)見てくれる、大人が望むような行動をすると(大人が)喜ぶ、テストの点数がよいと誉めてくれる(悪いと怒る)、このような状況が日常的にある生活では、子どもたちから「あめふり」のうれしさはにじみ出てこないかもしれません。

 子どもに対する姿勢について、もう一つ、お伝えしたいことがあります。子どもに与えることと子どもに対する愛情は、必ずしも同じではないということです。私自身も、まだ2、3歳の自分の子どもに対して、これを買ってあげれば喜ぶだろう、あの遊園地に連れて行けば喜ぶだろうと、複雑なおもちゃを買ったり、混雑する遊園地に連れて行ったことがあります。今でしたら、3歳の子どもは、騒がしい遊園地よりも、大好きなお母さんやお父さんと何もしないでただ一緒にいる方が楽しいだろうなと思えるのですが、その当時は子どもを喜ばせたい一心(と思っていたのですが)だった訳です。よく考えれば、これは子どもがうれしいのではなく、そうしてあげる(あげられる)親である自分がうれしかったのだと思います。自分の楽しさやうれしさを、子どもの喜びと混同していたのでした。このようなことは、どんな親にもあることです。そのこと自体が悪い訳ではありません。気をつけなければいけないのは、子どもと一緒に過ごす時間を持たずに、「与える」ことだけを続けても、子どもは本当はうれしくないこともあるということです。4歳の子どもに、「ピアノを習う?」と聞いて、子どもが「やりたい」と言ったから、4歳からピアノの塾に通わせた、という類のことはありふれたことです。でも、その子は本当にピアノを習いたかったのでしょうか。大好きなお母さんが「習う?」と言ったので、そのお母さんを喜ばせたくて、お母さんがうれしがる様子を見たくて、子どもは「うん」と言ったのかもしれません。子どものためにと、親がいろいろしてあげていることが、子どもがしたいのではなく親がしてあげたいことで、そのことを感じ取っている子どもが健気に親の気持ちに沿ってくれていることもあるのかもしれません。
 小学校へ入学する前のお子さんがおられる家庭でしたら、休日、家の近くの公園で、子どもが走り回っているのを寝転がって眺めてあげる、そうした時間も大切にしていただけたらと思うものです。