8月のひとこと
今年も酷暑の夏の到来です。巷ではロンドンオリンピックが開催され、連日、そのニュースが流れています。今年のこの世界の祭典は少しだけ今までとは異なります。というのも、昨年度より本格的に始まった附属学校が一つの中心になって取組んでいる「オリンピック教育」推進プロジェクトがあり、例年に無く報道の在り方が気になります。単に勝敗だけに終始するのではなく、オリンピック理念とその進展に期待しています。
ところで、今、私の手元に、附属中学校の藤堂校長から恵与された『八月十五日 日光における痛憤の記事』と題する冊子があります。昭和20年終戦の夏に、東京高等師範学校の附属中学校(現在の筑波大学附属高等学校・中学校)の生徒達(第57回卒業生)によって書かれた作文集で、平成12年5月に、附属日光文集出版会から第57回卒業生の今井善氏が中心となり発行されたものです。今年になって、同じく第57回卒業生の塚田尚吾氏のご厚意で記録・保管用としてコピーする許可が得られたのを機に、25部だけ作成され、その一部を頂戴しました。全153ページからなり、2部構成で、本題の中心部分は第2部になります。
編集後記にあるように、この冊子の原資料は、昭和18年4月に入学した生徒達(第57回卒業生)によって、戦争終期の昭和20年7月25日(水曜日)から8月26日(日曜日)まで、日光の古川電工日光精銅所に勤労動員されていた時に書かれた作文です。入学時の担任であり勤労動員にも参加された長谷川敏正先生が31年間丁寧に保存していて下さったものを、昭和51年5月の同窓会の折に、幹事にお渡し頂いたものだそうです。そして、その時から20年以上経過した平成10年と11年の同窓会での議論を経て、終戦時の貴重な資料として後世に残すことになり、上記のように、平成12年5月に初めて世に出されたのでした。
私は、戦後67年目に当たる平成24年8月15日を前にして、この冊子を読み、当時の生徒達による生の声に接し、彼らが生きた時代と終戦をどの様にとらえていたのかに高い関心を持つと共に、戦後67年の歳月の流れにしばし茫然とした感覚に捉われました。つまり、当時の圧倒的な食料難に耐えながら、必至に生きようとする生徒達の明日への意志力と冷静な時代と社会への洞察がどの生徒の作文にも綴られていました。現代の同学年の生徒に、この時代に対する考えを書かせたらどのような作文になるかと考えると、少し肌寒い感覚になるのは私だけではないと思います。当時の東京高等師範学校で行われていた教育では、アメリカなどの戦争相手国が持つ科学技術力レベルの違いを教えていたようで、盲目的に戦争鼓舞だけを行っていたのではないことが明確に理解されました。遠く東京を離れた日光で終戦を迎えた生徒達が、その将来を不安に思うことよりも、自分達がこの国の新しい時代を造っていくという強い意志力を作文に綴り、国の基本が教育にあることを改めて意識している姿に感動しました。私にとって、長い歴史を持つ本学附属学校における教育の伝統的な理念・精神の一端を垣間見ると共に、わが国の教育の現状を改めて考え直す比類の無い作文集となりました。筑波大学の関係者は勿論のこと、広く、様々な人々に読んで頂ければと思う次第です。